山 大 夫 (シャン タイ フウ)
中国山東省済南市、市中には黄河が流れ、南には道教の聖地である五岳のひとつ泰山が控えている。
この町の小さな診療所に日本人医師、山崎宏さん(102)がいる。
1937年に軍の獣医として中国へ渡る。牛馬の世話をする日々だったが悲惨な戦争に耐えられなくなり軍を飛び出した。
 
終戦後、日本に引き揚げる船を探す為に山東半島を目指しひとり何百キロも歩いた。途中の済南、衣服もボロボロでお金もない山崎さんに中国の人々はなけなしの食べ物を分けてくれた。 『敵国の人間になぜ…』優しさに触れ、涙が止まらなかった。
中国に留まり、残りの人生を償いのために生きることを決めた。必死に言葉を習得して、医学の本を読みあさり医師の免許を取得した。すべては未来、日本人と中国人民が友好関係になることだけを願い、自分の人生をかけて中国人民に医療で贖罪をするためだった。
 
中国へ渡って74年の歳月が流れ、山崎さんは102歳になった。左眼と右耳は衰えつつある山崎さんだが、足腰と食欲は年齢を感じさせない。現在も月曜から土曜の午前中は子供たちの診察にあたる。
診療所では『山大夫』(山先生)と呼ばれ、風邪を拗らせた我が子を抱えた親が列を成すほど信頼は厚い。
 
『中国大陸はこんなに大きいのに、私は郷里の土地を一寸も忘れた時はないですよ。やはり祖国ですから…』と山崎さんのふるさと、岡山県落合町の写真を見せてくれた。 『もう帰る必要がないんですよ、家族も同級生もみんな居ないですから…もう死ぬのも怖くないですよ。迎えが来たら友達に誘われた時のように喜んで逝きますよーー。』
山崎さんは中国に渡って以来、手帳とノートに自分の気持ちを認めている。こんな詩を詠んでくれた。
 
・明月有光、人有情(明月には常に光があり、人には皆情がある)
・梅雨時も今は聞こえぬ田植え歌
・迎えが来るまで止まぬ冥途の旅
 
時にその詩は自身を励まし、時にふるさとに心を通わせることを許したのだろうか。
彼の地の旅人は生ある限り歩み続けるだろう。
 
燃焼し尽くした生の軌跡だけが、人間の地下水流として永遠に流れ続ける。やがて水流は湧水となり私たちに希望をもたらす。旅人は未来の私たちの為に長い隘路を歩んでいる。
別れ際、私の手を掴み『次はもういないですよ。』とやさしく微笑んだ。私は先生の耳元で叫んだ。
『天国で会いましょう』
山大夫は笑顔で何度も頷いてくれた。  
岩波書店「世界」2011