バングラデシュの港街チッタゴンに「船の墓場」と呼ばれる場所がある。
老朽化した大型船舶が世界中からこの街の沿岸に集まり、静かに解体を待つ。
ここに辿り着いた大型船舶は「廃船解徹工」と呼ばれる労働者の手により屑鉄となる。船から取り外したソファ、洗面台、便器は道端で売られている。
船をすべて手作業で解体する作業の労働条件は厳しい。危険な作業や解体に伴う環境汚染のなかで命を落とす人もある。
「餓えで死ぬのであれば、働いて死にたい」と語る労働者たち。
彼らと自分が同じ時代に生きていることを私は確かめたかった。撮影に訪れた五月は雨季直前、一年中でもっとも熱い陽射しが浜辺の作業場に乱反射していた。
目の前にそびえる巨大な船、唐突に鼓膜をつんざく破壊音、鉄の塊を肩に担いだ男たちの掛け声、抱えた資材の重みに歪む表情、顔面から吹き出る汗。
作業場に必要なのは理屈ではなく、過酷な作業に耐えうる肉体だった。
歩く人の影を砂に焼き込むような光の下、「カッター」たちは手に握ったガスバーナーの炎で鋼板を焼き切っていく。バーナーが船を一周すると同時に、鉄が裂け、雷のような音をたてながら巨大な船舶が海へと崩れ落ちていく。
同時に爆撃のような水の飛沫が、船上の男たちを呑み込まんばかりに吹き上がる。逃れようとする彼らは必死の形相で甲板を走る。
一瞬の出来事だったが、その恐怖は陸にいる私にまではっきりと伝わってきた。その光景は今も私の目に焼きついている。
船を降りれば彼らの素顔はあまりにも素朴で、死と対峙する労働者であることを忘れさせた。「日本の船もあるよ」と笑って教えてくれた人もいた。
毎日訪れる私を見て、一人の青年が話しかけてきた。
私が「君の写真が撮りたい」と言うと、彼は目つきを変え、そのままイスに座った。
手に持っていたシャツを肩にかけ、私に「撮れ!」と言わんばかりの眼差しを向ける。自信に満ちたその眼差しに私は圧倒された。
一四歳の労働者に出会った。少年の体には大き過ぎるグローブを填め、膝まである長い服を着ていた。「親が病気だから僕が働くんだ」。
あたりまえのようにそう言いながら、彼はカメラの前に立った。その瞳はまっすぐに私を捉え、静かに澄んでいた。一瞬の撮影後、すぐさま現場に走って戻る後ろ姿は、どこにでもいる少年の姿に戻っていた。